本棚の間で話す常盤と水樹。
常盤「(古文書を読みながら)鬼の語源は隠(オン)、つまり隠れるってことに由来する。鬼は自由に姿を変えられる。まるで擬態生物みたいだ」
水樹「カメレオンとか?」
常盤「それは補色。そうだなぁ・・・平家ガニって知ってるだろ?」
水樹「食べたこと無いわ」
常盤「食べなくてもイイさ。あのカニは天敵、つまり人間に食べられないために、平家の落ち武者の顔に甲羅の模様を似せているという俗説がある」
水樹「カニにそんな芸当が出来るの?」
常盤「カニの芸かどうかは問題じゃない。ここで注目すべきなのは生物が時々、その場所の環境因子を驚くほどの精度で忠実に自分の形態に反映させるって事実だけだよ。ある蝶はその森に住むサルの顔を忠実に羽の模様にスケッチしてるし、サルのいない地域では、アメリカインディアンの顔が蝶のモデルになっているんだ」
(金光稲荷の赤い鳥居のトンネルを登る女狐の下から見上げのインサート・カット。どこか、高いところへ登り始めるイメージ。)
水樹「アメリカインディアンの顔を模様にした蝶がいるの?」
常盤「そう、アメリカインディアンと言えば、
ユングがおもしろいことを言ってるよ。渡米した民族は全て数世代の内に、皆アメリカインディアンの特徴をもった顔になってくるっていうんだ。
ユングはそれをスピリトゥスロキって呼んでるよ。"大地の精霊"のしわざだってね。そう、いわゆる精霊の悪戯ってやつかな。似姿のマジックだね」
水樹「精霊?」
常盤「そう精霊というのは、別に幽霊の別名なんかじゃない。人間の理解を越えた自然現象の呼び名だね。精霊は自然界のあらゆる場所に宿っている。八百万なら神様だけど、精霊は人間を殺したりもする。それは自然現象だからしかた無いことなんだ。人間は畏敬の念を持ってそれを精霊と呼ぶ。精霊はまた、妖怪と言いかえてもいい部分もあるね」
水樹「妖怪?鬼とかも?」
(金光稲荷の赤い鳥居のトンネルを、登って来る女狐の見下ろしインサート・カット)
常盤「鬼は山の精霊というとらえ方もある。歴史的な解釈をすれば、渡来人である大和朝廷に従わぬ人々、後のアイヌ・オキナワ・エゾ・ハヤト・クマソなどは生産手段のない山の中に追いやられて"天狗"や"鬼"のイマジイの原形となるという解釈もある。ところであの村で鬼の民話なんかを知ってるご老人はいなかった?」
水樹「村役場に古い記録があるって話は聞いたけど・・・」
常盤「ちゃんと取材した?基本はフィールドワークだろ?」
常盤、水樹の頭をポンとたたく。水樹、プン!となる。
(女狐、立ち止まり登ってきた道を見下ろす。鳥居の赤いトンネルが下まで続いている)